結果と実行が求められる2004年
NKB通信 2004年1月11日号
多くの企業では仕事始めに、経営者が社員に向けて、今年の経営方針や戦略を語る。 今年の年頭所感・訓示を見渡すと、「実行と結果」を求めるものが目立っていたように思う。 まさに、弊社代表が年頭のコラムで書いた「2004年は日本全体が“待ったなしの決断実行の年”」なのである。
また、今年に求められる幹部・管理者像は、まさに人一倍の苦労と努力を覚悟し、“待ったなしの課題を引き受ける人”と言えよう。
しかし、組織の中ではやっかいなことが起こる。 自分の意志で動いた場合、成功すれば良いが、失敗したら責任をとらなければならない。 それが怖いので、受身的な態度をとる。“トップの命令でやりました”と失敗したとき、責任を回避する意識が働くのである。
つまり、「自分」がないのだ。企業の中で、自己の存在を主張できるのは、仕事における責任を自ら背負うことである。それができないでトップ、 上司の指示だけを仰ぎ、顔色をうかがうという管理者では、思い切った決断はできない。
決断し、実行するという自己責任において、進退を決する勇気のない管理者は、人に動かされて生きざるをえない。 勇気というのは、危険と引き換えに、利を獲得することである。動かされてばかりの人間に、利が得られるはずがない。
織田信長の逸話に、こんな話を聞いたことがある。
信長がある日小姓を呼んだ。だが、一言“用は済んだ。帰れ”と言い追い返した。次の日に、また小姓を呼び、一言“用はない。帰れ”と追い返した。 次の日、また別の小姓を呼び同じ言葉を言った。その時、3番目の小姓は部屋をずっと見回し、衝立の下にゴミが落ちているのに気づき、それを拾って袂に入れて帰ろうした。
すると、信長は“待て、よくやった”と、その小姓に短刀を与えたという。
信長が、いかに「自主的に動く人間」を重視したかが分かる逸話である。木下藤吉郎や、森 蘭丸が代表例である。
弊社代表が、先月のコラムで「自分の人生は自分の手中に握り、必要な決断を」と締めくくったが、他人の意志で動かされるのでは弱者にとどまってしまう。
その意味で、2004年は果敢に挑戦し実行と結果を出す年にしたい。
「日本、待ったなしの2004年」である。