料理人から学ぶこと
NKB通信2004年9月23日号
私は昔から、いろいろと食べ歩きが大好き(特にラーメン)で、小耳に挟んだ情報を元にあちこちに出向きます。昔と違い、とまどう位に、町の中、又、郊外にと、いたるところにレストラン、食堂が沢山あります。今は「飽食の時代」、私たちはおいしいものを食べたいと言う欲望はつきません。
しかし、そのお店が繁盛するということになると、そこになにか人を引きつける味とか、その店ならではのメニュー、ひと味ちがう応対、店内の雰囲気などの特徴がなければなりません。
あるテレビ番組でお店がうまくいかず、生活が苦しくどうにもならないという人たちが出ています。何人かの人を見ていると何か共通傾向があるように思えます。
一つは、「人間としての甘えがあること」です。楽をしてお金儲けをしようとし、努力は二の次です。モノをつくるには基本があるわけですが、それをいい加減にして作りますから、食べたらおいしくない。もう二度と食べにはこないとお客様は愛想をつかされてしまいます。
私も経験があるのですが、これでは自分で作るインスタントのほうがよっぽど旨いと思ったこともあります。
二つ目は、「マンネリ化して研究心がないこと」です。毎日同じように作り、研究しようとしないから自己満足に陥ってしまいます。
我々の食生活は時代と共に変わっていくことに気がつかないのです。お客様の好みの変化を感じとり、他の店の味わっていないから、周りからどんどん取り残されてしまいます。
三つ目は、特徴がないことです。お店を見たときに、“中に入りたいな”という店構えが無く、メニューも、「その店ならでは」をアピールするものが無いことです。
このような三点を克服する手助けをスポンサー、司会者がするわけです。まずは料理人としての基本からやり直す。修業時代には一度は経験しているのに、つらくて耐えられなく、辞めたいという。“誰のために苦しんでいるのか”と司会者から叱られる。又、研究心がないから一流の料理人についても、その店の味、作り方、お店の様子、接客のしかたなど盗もうとしない。ただ、与えられたことだけで精一杯で終わってしまう。
そこで、料理人に“何しにきた、帰れ”と怒鳴られる。すると怒られた意味もわからず、俺だけ怒られると思う。
これでは何も生まれない。進歩も発展もない。人間誰でも苦しまないで、楽に仕事をしてお金を沢山もらいたいというのは当たり前です。
しかし、そんなことは不可能です。仕事についたら、その仕事のプロになることです。プロとは、その人がいないと他の人にはできない絶対必要な人になることです。
一流の料理人は仕事に厳しくプロとしてのプライドあるから、基本を大切にし、忘れない。その上に自分で研究し、独自のメニューを作っています。
そして、常に新しいチャレンジ精神を持っています。このことは、料理人にかぎらず、全てに当てはまることです。
しかし、我々も、ややもすると、気づかないうちにこのことを忘れてしまい、日々の仕事に取り組んでいるかもしれません。
常にこのことを肝に銘じて仕事に取り組む姿勢を大切にしたいものです。